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〜高橋竹山 評伝〜
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集英社新書 佐藤貞樹著 |
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青森新芸術鑑賞協会事務局長であり、竹山氏のプロデューサーでもあった故・佐藤貞樹氏が、折に触れて竹山氏の話を書き留めておいたものをまとめた渾身の聞き書きである。その半生の歩みは、日本の芸能史のこれまで光のあたらなかった側面のいくらかを明らかにしてくれる。貧しく眼の不自由な一人の人間が、いかに生きたかの半生記としても感銘を与えてくれる津軽三味線奏者のバイブルでもある。 |
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1975年初版本 新書館 |
1997年新装版 新書館 |
中公文庫 |
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おらの三味線いのちの音だ
1983年にポプラ社からノンフィクションシリーズとして発刊されたもので、津軽三味線ひとり旅の聞き書きをされた故・佐藤貞樹氏が子供向けにと書き下ろしたものである。カナもふってあって子供達にも読みやすく仕上がっている。 |
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音の旅人 津軽三味線・高橋竹山ものがたり 1986年に金の星社から発刊されたもので、上記の自伝・津軽三味線ひとり旅他を元に藤田博保氏が児童用に物語りとして書き下ろしたものである。高田勲氏の挿絵が随所に盛り込まれ、厚生省児童福祉審議会特別推薦にもなっている。幼少時代から修業時代、そして成田雲竹との出会いなど、親子の愛、師弟愛に満ちあふれた竹山の半生を描き出している感動作品。民謡、三味線関係者にもたいへん参考になる一冊である。 |
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津軽書房
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著者の夫は青森県芸術鑑賞協会の設立に係わったのち、高橋竹山のプロデューサーとして、世界の竹山に名を知らしめた故佐藤貞樹氏である。高橋竹山より16歳年上でボサマの手引きをしながらその芸を引き継ぎ、津軽三味線の芸域を高めた故市川竹女の生涯を通じて津軽のボサマたちの世界を描いている。市川竹女が、「ぼさま」のことを書き残して置かなくてはと、著者に訴えて生まれた本著は、竹女の証言だけでなく、著者自身が一緒に青森中を巡ってボサマたちの足跡を辿るなど、津軽三味線、津軽民謡の略史として、また研究資料としても優れた作品である。竹女とは旧知の仲であった高橋竹山や恩師・成田雲竹、津軽三味線の始祖と言われている仁太坊などについての証言も豊富で面白い。津軽三味線を深く知るためにも、関係者には是非読んでもらいたい渾身の一冊である。(著者よりご恵贈いただきました) |
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津軽三味線は鎮魂の曲である。竹山師の三味線が醸す 立風書房 |
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東奥日報社 |
みちのく民謡ばなし 本書は青森放送のディレクターであり、民謡研究家の松木宏泰氏が長年にわたって青森県の民謡を収集し、独自の考察を加えて、昭和51年6月から40回、東奥日報紙上に連載されました。それに加筆、追加してまとめ、昭和52年に東奥日報社から発行されたものです。残念ながら今は廃刊となってしまいましたが、随所に同社の山口晴温氏の挿絵が入り、特に故成田雲竹氏と故高橋竹山のコンビが、囲炉裏端で民謡を制作している挿絵はなどは、「こうして津軽民謡の数々が生み出されたのだ」という様子が伺えて何とも言えない味を出しています。いまは歌われいない歌詞も豊富に掲載されており、当時津軽民謡を学ぶものにはバイブル的な本でありました。
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津軽の民謡といってみたところで、おらもじょんから、よされ、おはら、など五つか六つしか知らなかった。雲竹さんは、むかしからたくさん知っているが、それには三味線がついていないもので、舞台でうたったり、放送の時に三味線がほしい。「高橋、何月何日に放送するから、これに三味線つけろじゃ」 いわれれば、おらもつけないわけにいかないし、とにかく雲竹さんのうたをきいて、覚えてそれに、おらが三味線をつけた。弥三郎節、十三の砂山、鰺ヶ沢甚句、とらじょ様、リンゴ節、ワイハ節などみなそうだ |
新藤兼人と竹山ひとり旅 津軽三味線の名人・高橋竹山の苦難の半生を中心に自ら、放浪芸人を名乗る若き日の竹山を描いた映画「竹山ひとり旅」のシナリオ付きで、シネ・フロントの別冊として発刊されものである。
「竹山ひとり旅の作家意識をめぐって」と題して、新藤兼人監督と映画評論家・佐藤忠男氏との対談や、新藤兼人研究と題して、「竹山ひとり旅」の構造について、女と性のテーマについて、社会的なテーマについてなど、また監督のプロフィルやフィルモグラフィも付いている。竹山ファンにとっても、新藤兼人ファンにとっても嬉しい一冊である。 シネ・フロント 別冊1 |