生前に日記として残した貴重な手記の一部から

「ぶりきやの 長いはしごを上っていけば」

竹勇との出会い〜コンサートに至る

2004/10/30 (土) つめたい雨 

つめたい雨だ。こんな日、雪国ではみぞれまじりだ。
生まれ育った土地を思う。
根雪にそなえ、この時期は冬支度だった。
野菜の保存、薪、つけ物、雪がこい、しべ布団。
みぞれが混じっているかもしれない雨の下、
厳しく暮らす、地震被災地の人たちを思う。

11月13日・奇聞屋。竹勇とのコンサートは今年3回目になる。
1月・船橋二和公民館。4月・船橋道祖会館。3回目が奇聞屋だ。2人のコンサートのほかにも竹勇の三味線は何回か聞く機会があった。
コンサートの打上げや、神楽坂・毘沙門天での「こころの温泉1」、隅田川ライブ「こころの温泉2」などだ。
以外に少なかったな、という気もするし、多かった気もする。

コンサート以外は演奏時間が少ないので、いつも、もつと聞いてみたいという物足りなさが残る。
今度の奇聞屋では、自分の朗読もしたいが、竹勇の津軽三味線を堪能してもらいたい、という気持ちも大きい。
竹勇は演奏の合間の喋りも軽妙で、会場を笑いに巻き込み、時評や津軽三味線の歴史、その中で虐げられてきた者の強靭な命を語る。
これも味わい深い竹勇の一面だ。

次はほんとに竹勇のことを書きたい。

■2004/11/10 (水) 竹勇と---8---追っかけ 

竹勇と出会ったのは4年前。
狭山のライブハウスで面白い演奏がある、と千葉の詩なかま都月次郎に誘われた。
小さな会場で竹勇は、サックス、アフリカドラムとのセッション、詩の語り。

実はその前、連れ合いが津軽三味線を習いたいというので、私の知っている民謡の師範を紹介した。「連れ合いが津軽三味線をやりたいという。いい先生はいないか。」「いるいる、まかしておけ」というので、津軽三味線をやっている人たちの所へ顔を出しに行った。
行ったのはいいが、帰ってきても津軽の津の字も口にしない。
どうだった ! と聞くと、私は津軽三味線を習いたくて行った。どうやって練習するのか知りたかったが、その人たちは、三味線がいくら、撥がいくら、着物はいくらで帯はいくらの自慢ばかり。三味線が、嫌になったという。

狭山で竹勇と知り会うまで、津軽三味線とはそんな自慢の世界なのか、という頭だった。
だから、狭山で竹勇の三味線を聞き、話も聞き、こういう人もいるんだと思った。
この演奏、私のいる地域の人たちにも聞いてもらいたい。
そして、できたら私の朗読とジョイントもしてみたいと思った。
回りの人たちにも話した。山本竹勇という人がいる、船橋に呼びたいんだ
、と。

---次ページへつづく---

■2004/11/10 (水) 竹勇と---7---追っかけ 

仲間に話すと賛成はしてくれるが、お礼のことで引っかかる。
お礼はいくらなのか。私たちの計画は入場料が1人1000円で100人にきてもらう。10万円で会場費、その他の経費。竹勇へのお礼もしなければいけない。
あまり少ないので失礼になるのではないか。清水の舞台から飛び降りるつもりで、私たちの計画を話した。
案ずるより生むがやすしとはこの事だった。いいですよ ! と心いい返事。
船橋へきてもらうことになった。今年は3回来てもらった。
1月のコンサートは雪がちらつく特別に寒い日だった。100人来てくれれば成功と思っていたのに、満席、250人。
4月は小さな会場だったので、昼夜2回の舞台だった。
9月は詩のボクシング千葉大会のオープニング演奏とジャッジもやってもらった。
この時は徳田さんという方の応援で、老人ホームから団体で来てくれた。
団体割引と高齢者割引で、1人500円。

3回も船橋に来てくれているので、船橋では竹勇ファンが多い。
追っかけもいる。西荻窪。奇聞屋にも行きたいが、船橋の追っかけは何しろ杖を使わなければ歩くのも大変という追っかけ。竹勇が船橋へ来てくれるのを、手ぐすね引いて待っているという追っかけなのだ。

津軽三味線・山本竹勇 & 詩の朗読・武力也が贈る
津軽三味線と詩で語るふるさと

日時:11月13日(土)
    PM7:00開演(6:30開場)

場所:奇聞屋JR西荻窪駅南口から徒歩1分 

料金:3,000円(ワンドリンク付き)

予約お問い合わせは下記まで

奇聞屋:店頭またはお電話
(TEL 03-3332-7724 6:00PM〜) 

ヤマモト:FAX 04×−76×−×06×
e-mail : ○○@tikuyu-shamisen.com

武 力也:FAX 0×7−4×7−9×8×(高桑)
e-mail : ○○@nifty.com 
  
プログラム 
じょんから節を訪ねて 
光る釘 
ばっちゃのダダダコ 他 
 

■2004/11/14 (日) 奇聞屋終了 

奇聞屋終わりました。
たくさんの方がおいで下さいました。
ありがとうございます。
簡単ですが自分なりのかんそうを載せておきます。

奇聞屋「津軽三味線と詩で語るふるさと」終わった。
ぶりきやは次のような朗読をした。
オープニング  「追っかけ」4分
前半      「詩人会議の高橋さん・竹勇版」4分
「屋根葺稼業」3分
「がんばれ濁点・ライブドア」4分
「ひかる釘」3分
後半      「ばっちゃのダダダコ・夜行列車版」20分
時間はこれぐらいだろういう、おおよその時間。

今回は初めての試みで喋りを多くした。その試みがよかったか悪かったか分からないでいる。成功とは言えないみたいだ。喋っていて不安になるのだ。今いった事が伝わっただろうか、と。それで念を押したり同じことを繰り返し喋ってしまう。くどく、冗漫だった。
ばっちゃのダダダコは、今回初めて私が上京する時の、夜行列車の部分を入れてみた。
これも不用な部分が多く、もつと短くするべきだった、と今は思うが、やってみるまで分からない。
全体にダラダラと長びいたと思う。そのぶん竹勇の演奏時間に食い込んだ。

「追っかけ」「がんばれ濁点。・ライブドア」は、この日記にも書いたのが元になっている。
その他のものについては可能な限り、この日記に発表していきます。

会場は満席で盛り上がったのですが、やる側としては反省する事ばかりです。

■2004/11/15 (月) 詩人会議の高橋さん---竹勇版 1---

奇聞屋で前半最初に朗読した詩。
詩のボクシングでは「相棒」として3分で終われるようにし、最初の方だけ朗読したが、もともとは「詩人会議の高橋さん」という題で作られ、はしごが倒れて下りられなくなった、というのがメーン。
その場その時で色々な人を登場させる企みもあって、今回は竹勇版。
小泉首相版、どぶろく版、細谷版、高橋版などもある。
詩のボクシングでやった物と重なる部分もありますが、あえて載せます。

詩人会議の高橋さん---竹勇版---

ブリキやです
時々 タケさんですかとか 
ほんとにブでいいんですか いいにくいですね 
などといぶかしげに聞かれますが
いいんです
屋根を葺くのが仕事のブリキや
これまでずっとブリキやだったし
これからもずつとブリキやで
おれの一生ブリキやなんだと
少しだけ誇りもにじませ ブリキやと名のっています

ブリキやは きのうも長いはしごを上っていって斜面に立った
ブリキやは その前もずっと長いはしごを上っていって斜面に立った
斜面には おれたち家族の暮らしがあるから
ジャンバーをふくらませ
じか足袋はいて あっちへ行ったり こっちへ来たり
わがもの顔で斜面の上を歩いているが
その日はいきなり風が来て
長いはしごが倒れてしまった
下りられない

いつもは倒れないように結わえておくのだか
その日はなぜか油断があつた
場所は4階建てのビルの屋上
普通の住宅街なら道路もあるし
大きな声を出していれば誰かは気づいてくれるが
4階建て ビルの屋上 しかも工事中
よほどの物好きだってあがってこない

こまった 下りられない
息子の電話を呼んでみる
こんな時にかぎって
おかけになった番号は
電波の届かない所にあるか電源がはいっていません
こまった
夕日は赤くなってくる
風は冷たくなってくる
このまま一晩 屋根の上で夜を明かすか
はしご車を電話で呼ぶか
災害救助隊というのもテレビで見たが
これは災害にあっているのだろうか
こまっていると電話がなった
---次ページへ---

■2004/11/15 (月) 詩人会議の高橋さん---竹勇版 2---

---前頁からの続き---

助かった
もしもし もしもし
「ぶさんですか 竹勇です」
竹勇がなんでここに電話するんだ
おれが今どこにいるか知っているのか
と思ったが これはいえない
「詩のボクシングすぐですね 応援に行きます チケットありますか」
ない
「じゃあピアで買います がんばってくださいね」
ありがとう といって電話を切ろうとしたら
「十一月 奇聞屋のことですが」
話はわかった竹勇よ
詩のボクシングも奇聞屋も
俺をここから下ろしてからの話にしてくれ
あの時は電話を放り投げたくなった

息子と電話がつながって
俺は今ここにこうして立ってはいるが
あの晩は夢を見た
三味線抱えた竹勇が長いはしごを上って行って
屋根の上で三味線弾いてる
背筋を伸ばし胸を張り
顔はまっすぐ津軽へ向けて
ああ 屋根の三味線もいいものだ うっとりしていると
いきなり大きな風が来て 長いはしごを倒して行った
今度は竹勇 下りられない
待ってろ竹勇 助けに行くぞ と走り出したが
さすが竹勇あわてない
顔をまっすぐ津軽へ向けて弾く三味線
震度7が来たって揺るぎもしないこの姿勢
屋根の上の三味線もいいものだ
という夢でした

■2004/11/15 (月) 奇聞屋 二つ目の詩 1

二つ目の詩

今回は詩の間に喋りを入れた。
しどろもどろになりながらだ。朗読は作ってあるものが決まっている。喋りはおおよそこんな事を言おうと思っているだけ。前書き、後書きの部分が喋り。

屋根葺稼業---前書き---

時間のたつのは早い。
子どもの頃はあっという間に一日がすぎた。
この頃はあっという間に十年がすぎる。
この調子だと百年だってあっという間だろう。
暑かった夏もきのうの出来事のようだ。
屋根はおてんとさまに近いから格別に熱い。
どれぐらい熱いかというと、鋏なんかしばらく放っておくと熱くて握れない。
じか足袋の底も熱い。ウサギのように跳ねて歩かなければいけない。
でも熱いのは我慢できる。
日陰もある 冷たい飲み物もある。
家に帰ればクーラーもある

我慢できないのはみんな、頭の上には屋根があるのを忘れる事だ。
日照が続くと仕事の電話がかかってこない。
屋根の仕事が暇になる。
このままじゃ、この歳末は越せないのではないか、真剣に考えた

ところが忘れもしない10月9日 台風22号。
この日は詩のボクシング全国大会がイイノホールで開かれていて、私もいた。
大会が終わったら休もうと思っていたが、休む所ではなくなった。
屋根がはがれた。雨漏りがする。樋が漏る。
被害者の方には申し訳ないが、22号のおかげで屋根があることを思い出してもらい、仕事も忙しくなり、屋根の葺き替えもある。
新しく屋根を葺くのにくらべれば、葺き替えはその下に人が暮らしているから大変だ。
「屋根葺稼業」です。  ---次ページへ続く---

■2004/11/15 (月) 奇聞屋 二つ目の詩 2

---続き---

屋根葺稼業

ぶりきやが屋根を葺きかえるとなれば
人さまのくらし 頭の上をはがすのだから
人も 資材も 準備万端ととのえて
段取りを頭にたたいてトラックに乗る
朝は挨拶が肝心だ
人一倍大きな声で
おはようございます 屋根の工事にかかります
のっそりと出てきた主人
屋根なんか頼んでないよ
そんなこと言われても 下見に着たし寸法だって取りに来た
今日から入ると電話したじゃないですか
知らんなあ 俺に頼んだ覚えはないが 女房か
泣きたくなって 表札をチラリと見ると ちがう
森さんじゃないですか
森じゃないよ 小泉だ
さっきまで 女房か などと言ってた主人
勝ち誇ったように指し示す
森さんならもう一本向こうの通り
角を曲がって三軒目 大きな犬のいる家だ
そうだった犬がいた
すみません すみません はしごを外して逃げ返ったが
よかった
頼まれてもいない人の屋根をはがすとこだった
俺も胸をなでおろしたが
向こうだって驚いたろう
朝一番 トラック二台 男六人乗りつけて 
屋根をはがすといわれれば
小泉さんだって 頼んだかな と自信がなくなる
おはようございます
屋根の工事にかかります
いった方も いわれた方も
俺がだれだか
森だか 小泉だか ぶりきやだか
なにが誰だかか分からなかった朝

---後書き---
この詩を作ったころは、詩も小泉さんも新鮮だった。
詩も古ぼけたので書き直したいのだが、小泉さんが頑張っているのに、詩だけ書きなおすわけにはいかない。

---後書きの後書き---
詩より前置きの方が長い。さらに後書きまである。念入りだ。
今、前置きを読んでみてその長さに驚いた。前置きは何を言ったか思い出しながら書いているわけで、たぶんもっといらない事を言っただろう。間もある。削除したいがそのまま載せておく。

■2004/11/16 (火) ばっちゃのダダダコ---前書き---

2部は山崎夏代さんの朗読「待つ」から始まった。
戦場へ行った夫を待つ若い妻の心を、機を織る音に託してうたいあげたもの。
つづいて武が呼ばれ、三味線の間奏。

武の喋りは次のように始まった。
わたしは秋田出身。20才まで秋田で育った。
地震災害の新潟。日本海側、あの北が山形、その上が秋田。
日本海へ臍のように、くりっと突き出た、男鹿半島で育った。
今は半島全体が男鹿市になっていますが、以前はいくつかの村に分かれていた。だからここでは村という事で通します。
地図だと秋田のさらに上が青森、津軽三味線のふるさと。

ばっちゃのダダダコ

秋田の小さな村を出たのは40年ほど前の冬でした
朝からみぞれの寒い日で セーター ヤッケ 防寒靴 
しっかりの冬支度をして夜行列車に乗った
向こうを夜8時ごろ発つと 次の日の朝8時ごろ上野に着く
12時間かかった
今は新幹線もあり4時間半ぐらい
仕事が決まっているわけじゃない
泊まる所が決まっているわけじゃない
上野へ迎えに来てくれる人もいない
この腕一本どうにかなるさの意気込みと 都会へのあこがれだけ
不安だったんでしょう 大宮で一度下りた
ここで一息入れて 東京へ乗り込もう
駅のまわりを歩くと 朝めしと書いた大きな看板があった
腹も減ってた めしとみそ汁 おかずにサケをたのんだ
めしとみそ汁は出てきたが サケがこない
サケは出ないのかと聞く
出てるだろうというが
ない
目の前にある 見えないのか
お茶がわりと思っていたコップの水
これがサケだった
飲むサケじゃあね さかなのサケだ
訛りや方言では笑われたりバカにされた
タバコを吹ぐ といった
タバコを吹ぐなら 魚のフグはなんだ
タバコは吹ぐもの 吸うのは彼女の唇だと頑固に思ったが
そのころ彼女はいなかった
仕事を決め アパートを決め
ほっとして空を見あげると
真っ青な空
きのうはみぞれ 空がなかった
気がつくとびっしょりの汗
冬支度のまま東京を歩いていた
ヤッケを セーターを 防寒靴を脱ぎ
もう一度見あげた空
それが初めての東京だった

この冬晴れの空を一度でいい
あの小さな村のばっちゃたちに見せてやりたい

ばっちゃのダダダコ---夜行列車---の部分です。奇聞屋で初めてばっちゃのダダダコに取り入れてみた。

武力也を偲んで武力也CDのご案内


山本竹勇・津軽三味線の世界