竹勇ネットライヴ

MP3で配信しております。

ダイヤルアップやISDNの方でも聴くことができますが、
ロードに少し時間がかかりますのでADSL以上を推薦します。

曲 名

サイズ

時間

曲 の 解 説

りんご節


337k

42秒

青森県には民謡がたくさんあるが、りんごに関するものがありませんでした。そうした声に刺激され、津軽民謡の名人・故成田雲竹翁が青森市の要請により、りんご作りにふさわしい作業唄を考えて、昭和29年6月13日から4日間にわたり製作しました。曲調は埼玉県入間郡で唄われていた「麦踏唄」からとって、故高橋竹山師が三味線伴奏をつけ、昭和30年にビクターレコードで佐藤りつに吹き込ませたのです。以来唄会には必ず歌われ、誰にでも歌える新民謡として流行し続いています。現在では前奏の部分が当初より長く変化してしまいました。

鯵ヶ沢甚句


490k

1分 01秒

この唄は、かなり古い歴史を持っていると伝えれていますが、元唄は鰺ヶ沢港で歌われていた「鰺ヶ沢口説」です。鰺ヶ沢港は北前船の寄港地として栄えた十三港と同じく、たいへん栄えた港町でした。松前と上方西国の往復の途中で寄港した際に、新潟の柏崎あたりで歌われていた「ヨイヤサ」という唄が、この鰺ヶ沢港に移入されて「鰺ヶ沢口説」になったと言われています。甚句になったのはいつ頃なのかははっきりしませんが、大正から昭和にかけて盆踊りとして盛んに歌われていたようです。盆踊りの面影を失ってしまいましたが、「鰺ヶ沢甚句」は戦後、故成田雲竹翁と高橋竹山師のコンビで三味線伴奏がつけられてから、津軽民謡として盛んに歌われるようになりました。しかし、現在ではコンビが作った「鰺ヶ沢甚句」とはだいぶ違った曲調になってしまい、いまでは雲竹、竹山の流れを汲むものだけがこれを伝えております。


十三の砂山


629k

1分18秒

青森県の西北に位置し、日本の七大港のひとつであった十三港は、海上輸送が大量の物資を運ぶ唯一の機関であった時代には、その繁栄は隆盛を極めていました。しかし、その繁栄も1340年8月には、この地を襲った大津波によって一瞬にして廃墟になってしまったのです。そして、次第に過疎化が進み、十三湖を抱合した荒涼たる砂浜には、昔栄えた都を偲ぶべきものがなくなってしまいました。この唄は、山王坊という一人の僧侶が作曲したといわれているが定かではありません。小太鼓に合わせ、砂山節、または砂山踊りといわれて、盆踊りの元唄となっていた。それを楽師、館山翁(大正初年亡)父子の手によって継承されたそうです。昔栄えた古い港町の落日と哀しさを唄った「十三の砂山節」は、昭和26年に故、成田雲竹翁が、それまでの節を編曲して唄い、これに高橋竹山師が三味線伴奏をつけて、終戦後、全国に唄い広めました。いまでは有名な津軽民謡のひとつとなっています。哀調を帯びた三下りでの演奏です。


弥三郎節


767k

1分35秒

文化5年、西津軽郡森田村字下相野に住む弥三郎家の嫁いびりから生まれた唄です。故成田雲竹翁が昭和26年11月の文部省文化祭に出演し、更にレコード吹き込みした時に、高橋竹山師にお願いして作曲、新たに三味線の伴奏をつけてから一般に唄われるようになりました。伴奏のない昔唄は子守歌のようでした。


三味線じょんから


1751k

2分05秒

ボサマと蔑まれ、差別されてきたその日暮らしの男盲芸人たちが、その日の糧を得るために一軒一軒門付けをして、厳しい風雪に耐えながら生活のための、まさに生きるために弾いた魂の曲です。唄の伴奏曲ではなく、独奏曲ですが、曲調は切なく哀愁があり、リズムと間がたいへん難しい曲です。高橋竹山師の師匠は藤沢のボサマである戸田重次郎ですが、戸田が名人・梅田豊月から習ったと言われています。竹山はこれに旧節のじょんからを入れて編曲していますが、それでも原曲にかなり近い弾き方をしています。この曲もいまでは初代・高橋竹山師の流れを汲む、ごく一部の奏者しか正確に弾けるものがいなくなってしまいました。


中じょんから節


656k

47秒

時代の流れによって変化してきた「じょんから節」も歌い手との熾烈な競い合いによって節も研究されてきたのです。昭和の初期に流行した中節の伴奏曲を初代・竹山師が独奏曲に仕立てたもので、竹山流のそれはもっとも哀愁があります。


新じょんから節


587k

1分13秒

元々は唄付けの伴奏でありますが、即興性を帯びた前弾きが変化して三味線だけが表舞台に出てくるようになりました。新じょんから節の曲調を取り入れて変化した独奏曲や曲弾きは、リズミカルで若者にもたいへん人気があります。


三味線よされ


966k

2分03秒

三味線じょんからと並んで、ボサマたちが生きる為に弾いてきた魂の一曲で、竹山師の師匠・戸田重次郎が佐藤綱吉から習ったと言われています。小曲ながら音が形作る広い空間、地の底から涌き出るような清冽な音の流れ、これは技巧で聴かせる音楽ではありません。素朴で単純な音でいて、豊かな色彩に満ちた曲に仕上がっています。


津軽おはら節


979k

40秒

大正14年、成田雲竹翁がレコード吹き込みにあたり、「塩釜甚句」という名のもとに唄われていたものを、下の句の末尾に「オハラ云々」というところから、日本三大小原節にしようと命名したのものです。手踊りによく唄われるリズミカルな旧節と、その7,8年後に節が変化した新節が唄われるようになりました。竹山流の「新おはら節」は地元では区別して「中おはら節」とも言われております。


津軽あいや節


634k

1分19秒

北前船の弁財衆によって伝えらた新潟のおけさが、津軽に渡って「あいや節」になったと言われていると通り、そのリズムはたいへんよく似ています。メジャー調とマイナー調の「あいや節」がありますが、竹山流のそれは哀調を帯びて郷愁を誘います。


津軽三下り


537k

1分16秒

この曲は馬方三下りが陸伝いに伝わってきたもので、三味線は明治の中頃からと言われていますが、高橋竹山師が少年時代に藤沢のボサマである師匠の戸田重次郎から教えられたものをそのまま受け継ぎ、いまに伝わっております。三味線の三下り調弦そのものが曲名になっていて、技巧も凝った哀愁のある曲に仕上がっています。


津軽音頭


688k

1分26秒

昔、秋田節と言われていた曲を門付け芸人が伝え、津軽民謡の神様と言われた故成田雲翁が津軽音頭と名づけました。三味線の手は竹山師が考えて付けたものですが、津軽音頭といえば高橋竹山というくらいに十八番になっていたものです。哀調がありますが技巧が凝っていてたいへんむずかしい曲であります。

 

特別番組

試聴にはウィンドウズメディアプレイヤーも必要です。 無償インストールはロゴをクリックしてください。

夢の競演

中国国際放送局(北京放送)の許可を得て、新春特別番組「夢の競演・中国民族楽器の巨匠達」より、中国の民間音楽家で二胡と琵琶の巨匠・阿炳(あびん)と、初代・高橋竹山の津軽三味線との競演を配信しております。

モスクワ公演から

1998年のモスクワ公演から、エトセトラ劇場での演奏の一部を当日のライヴ録音で聴くことが出来ます。

ハワイ公演から

1991年のハワイ公演から、地元の日本語放送局 KZOO RADIOに生出演した番組を配信しております。

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